豆腐を崩さないように、包丁でコピー用紙よりも薄くスライスすることはできるでしょうか。ボロボロと崩壊していく豆腐を容易に想像できると思います。

 

獣医病理医や人の病理医は、光学顕微鏡で異常な細胞や組織構築の乱れを観察して病理診断をしています。

私たちの商売道具である光学顕微鏡は、下から標本に光を当てて、その透過光をレンズに結像させて形態を観察しています。そのため顕微鏡で観察する試料は、光が通るくらい薄くしなければなりません。

 

細胞の大きさは、だいたい1020μm(マイクロメートル)です。(1μm1,000分の1mm)。

臓器を34μmくらいの厚さにスライスすれば、細胞が上下に重なることなく、一つ一つの細胞を顕微鏡で観察することができます。

20μmの厚さでも光は通りますが、あまり厚いと細胞と細胞が重なってごちゃごちゃしてしまい、細胞の詳しい様子を観察できません。

 

細胞の様子を的確に判断できる厚さが、だいたい34μm、すなわち1,000分の34mmくらいです。

これは髪の毛1本の太さよりも薄く、コピー用紙の20分の1とかサランラップの半分くらいの厚さです。

 

私たちの体から取り出した臓器、あるいは手術で切除した腫瘍などは、そのままでは豆腐のように柔らかく脆すぎて、薄くスライスすることができません。

しかも、なるべく生きていた状態を保持したまま、細胞を壊さないようにして形態を観察しなければ正しい診断ができません。

 

では、どうすれば豆腐のように柔らかく崩れやすい臓器を、紙やサランラップよりも薄くスライスできるでしょうか。

なぜ豆腐を薄く切れないのかといえば、それは柔らかいからです。硬くすれば薄く切ることができそうです。ただし、ただ硬いだけではスライスするときに細胞が壊れてしまうので、適度な粘度も必要です。

 

そもそも臓器はなぜ柔らかく壊れやすいか。それは水分が多いからです。

水分を抜いて、代わりに硬い物質に置き換えることができれば、細胞を壊すことなく薄く切ることができます。

 

実際には細胞の水分をパラフィン(パラフィンワックス)と呼ばれるロウのような物質で置換しています。

ただしパラフィンは疎水性なので、いきなり臓器をパラフィンにつけても細胞にはなじみません。

 

細胞の水分をパラフィンに置き換えるために、まずはアルコールによって細胞の水分を徐々に抜いていきます。しかし、アルコールもパラフィンには馴染まないため、アルコールにもパラフィンにも親和性がある中間剤として、キシレンのような有機溶剤を途中ではさみます。

 

パラフィンに置き換える工程の一例として、

70%エタノール→80%エタノール→90%エタノール→99%エタノール→99%エタノール→99%エタノール→キシレン→キシレン→キシレン→パラフィン→パラフィン→パラフィン

という感じで一晩かけて、臓器をパラフィンで固めていきます。

 

一連の工程をパラフィン包埋(ほうまい)と呼び、臓器がブロック状になったパラフィンに埋められます。こうすることで適度な硬さと粘度が与えられ、細胞を破壊することなくコピー用紙よりも薄くスライスできるようになります。

また、パラフィンだけでなく、セロイジンや樹脂、寒天で固める方法もあります。薬品を使わずに固める方法としては凍結包埋というのもあります。

 

下の写真が、実際にパラフィンに包埋されたブロック(パラフィンブロック)です。
IMG_5634
 

 

このようにパラフィンに埋められた臓器は半永久的に保管することができます。最近では過去のパラフィンブロックを引っ張り出してきて、遺伝子解析などにも活発に用いられています。

 

私は希少な動物も含め、様々な動物を病理解剖して、このようなパラフィンブロックを作っています。

動物の死因を究明する施設とともに、様々な動物のパラフィンブロックライブラリーとして、貴重な標本をストックする構想も考えています。

 

今後、絶滅して地球上からいなくなる動物は確実に増えていきます。

パラフィンブロックとして残しておいた標本が、絶滅してしまった100年後とかに再び研究に利用される。そういう意味でも、少しでも多くの動物を病理解剖して、その動物が生きていた証を残していきたいです。