獣医病理学者Shinのブログ

動物の病気あるいは死体の専門家からみた、色んな動物や科学に関すること

2019年08月

「遺伝子を調べれば全てが分かる」と思っている方は、案外多いのではないでしょうか。確かに遺伝子単独の異常によって引き起こされる病気はあります。

 

しかし多くの病気は、外的な環境要因と内的な遺伝要因の両方が少なからず関与しているものと思います。

 

生活習慣病の多くは日常の生活習慣という環境要因だけでなく、遺伝要因も決して無視できるものではありません。不摂生な生活をしていても病気にならない人もいますし、どれだけ健康に気を付けていたとしても病気になる人もいます。

 

がんも同じように、がんになる・ならないは遺伝子だけで決められているわけではなく、やはり環境要因も無視できない場合が多いのではないでしょうか。

 

一方、感染症では、病原体という外的な要因のみによって引き起こされる病気と思われるかもしれません。ところが感染症の場合でさえ必ずしもそうではありません。感染に対する宿主の免疫反応もやはり、遺伝による個人差が感染症を発症するかしないか、重症か軽症かを左右する場合が少なくないものと思います。

 

近年の遺伝子解析技術の進歩は目覚ましく、研究者なら誰でも簡単に遺伝子を解析できるようになってきました。また、研究者でない場合も、遺伝子検査に対するハードルはかなり下がってきているように思います。

 

しかし、遺伝子の異常が今現在の病気に直結するとは、必ずしも言えないことにご注意ください。病気の多くは遺伝子がすべてというわけではなく、確かに遺伝子によって病気になりやすい傾向は規定される部分もありますが、それ以外の要因も無視できません。

 

動物の感染症を診断する際にも、病原体を遺伝子検査によって調べることが普通になってきました。

病原体を分離、培養して同定するという従来の検査では、確定に数日から数週間かかることもある一方、遺伝子を調べるだけならものの数日、場合によってはその日のうちに結果が出せることもあるから確かに便利ではあります。

 

遺伝子検査はとても便利なものですが、感染症を診断する際に注意しなければならないことがあります。それは、遺伝子検査で病原体が検出されたということは、その病原体の遺伝子が存在するということに過ぎません。病原体の遺伝子を調べるだけでは、その病原体が生きているのか死んでいるのかの判断がつかないのです。

 

人の医療ではそんなことはありませんが、動物では、病原体の遺伝子が検出されたからという理由で安易な診断や治療に向かってしまっている部分がけっこうある気がしています。

 

感染症を発症するかしないかを決定するためには、宿主側の要因と病原体側の要因の両方を吟味しなければいけません。感染症の成立にはさらに感染経路という要因も大事です(手洗いやマスクは、感染経路を遮断しているということ)。

 

宿主側の要因を調べるためには、患者情報、症状、各種の検査を総合的に判断して、感染症を発症しているか、発症していたとしたらどの程度の重症度かなどを考えます。

 

一方、病原体側の要因を遺伝子検査だけで済ませるとすると、病原体の生死に関わらず、病原体の遺伝子が存在するということが分かるに過ぎません。私たち人や動物にも個性があるように、病原体もやはり生き物ですから、同じ病原体でもその株によっては病原性が異なる場合があります。

 

その病原体がどれくらい悪いかどうかを調べるためには、病原体を生け捕りにして飼う、すなわち培養して病原体の性状をしっかり見極めなければなりません。そこから場合によっては病原性を発揮するための遺伝子を調べることがありますが、病原性の遺伝子が確認されたとしても、実際には病原因子を発現していない場合さえあります。

 

私たちが生き物を飼う場合だって、その生き物が飼いやすいのか飼いにくいのかは飼い主によって異なりますし、いくら本で知識を得たとしても、実際に飼ってみなければその動物のことは理解できません。病原体も同じで、実際に飼う、すなわち培養してみなければ、その病原体の個性までは分からず、病原体を理解することにつながりません。

 

人や物が短時間のうちに世界中を行き来することが可能となったということは、微生物にとってもそれらに付随して国境を越えた移動が可能となったということを意味します。また、近年の気候変動によって生態系の変化が危ぶまれていますが、生態系が変われば微生物や病原体にとっての生態系も変化します。

 

がんの治療が飛躍的に進歩し、がんがすぐに死と結びつく病気ではなくなりつつあります。

歴史的に見れば、抗生物質やワクチン、あるいは清潔な生活による感染症の減少が寿命の延長に結びつき、がんの増加につながったという経緯があります。

今度はがん治療の発達によってがんが死の病気ではなくなると、再び感染症の時代が来るのではないかという気がしています。

そして次に来る感染症の時代は、薬剤耐性菌も含めより困難な感染症が待ち受けているのではないでしょうか。

 

近年人で問題となっている感染症の多くは、動物、とくに野生動物に由来する感染症といわれています。これから来るであろう新たな感染症の時代のために、私たち獣医師はもっと動物の感染症の問題に真剣に取り組んでいかなければならないのかもしれません。

 

薬剤耐性菌の問題は人の医療だけの問題ではなく、獣医師も動物への安易な処方によって薬剤耐性菌を作り出さないようにしていかなければなりません。そして感染症を診断する際にも、病原体の遺伝子の有無だけでなく、病原体を生け捕りにしてきちんと検証する作業をするのが理想です。

 

私も病理解剖をとおして色々な動物の様々な感染症を診断していますが、病原体を生け捕りにできなかったばかりに確定診断できなかったケースがたくさんあります。動物では、検査体制が人の医療ほどに確立されていない部分が多いのが現状です。

いっそのこと自分で生け捕りにしようと思ったこともあるますが、なかなかそこまでは手が回りません。でも、きたるべき新たな感染症の時代のために、感染症や病原体のことをもっと真剣に考えていきたいと思っています。動物の感染症を理解ししっかり向き合うことは、人の健康にもつながる大きな社会的な使命だと考えています。

私は様々な動物の病理解剖をしており、仕事柄もそうですが、プライベートでも子どもが好きなこともあって頻繁に動物園に訪れます。

 

「好きな動物は何ですか?」と質問されることが多いですが、それぞれの動物ごとに違った魅力があり、答えるのが簡単ではありません。

 

比較的どこの動物園にもいて、見ていて飽きない動物はいくつかいます。

その一つがダチョウです。

 

現生種で最大の鳥類、巨大な卵、翼はあるけど飛べないなどでお馴染みの鳥ですね。

解剖学的には鳥類にみられることが多い「そ嚢」がない、鳥なのに大腸が長い、といった特徴もあります。 

 

好奇心旺盛な行動、恐竜をイメージさせる足、つぶらな瞳で見つめてくる姿に魅了され、いつの間にかダチョウ舎の前でぼーっと観察していることもよくあります。

大きな瞳で見つめてくるダチョウに、何か強い好奇心を感じませんか。

 

近年、ダチョウの肉は鉄分が豊富で脂肪が少ないなど健康志向にもマッチしていることから、家畜としても徐々に注目されてきているようです。

 

現在の主要な家畜としては牛、豚、鶏があげられますが、BSEや口蹄疫、豚コレラ、鳥インフルエンザなど家畜伝染病の心配が尽きません。

 

関係者の長年の努力や日本は島国という立地もあって、最近では家畜の感染症が猛威を振るうことは少なくなりました。

しかし、グローバル化が進んで人や物が短時間のうちに世界中を移動する現在、海外で問題となっている家畜の病原体がいつ日本に侵入してもおかしくありません。

 

近年の畜産の傾向としては、畜産農家の数は減っている一方、一つの農家あたりに飼育している家畜は増えていて、畜産経営が大規模化しています。このことから万一国内に病原体が侵入した場合、畜産業へ壊滅的な被害を及ぼすことは容易に想像できます。

 

海外からの病原体の侵入を防ぐことや、万一侵入した場合の対策を立てることはもちろん重要ですが、食肉の多様性を確保するという意味でも家畜としてのダチョウは注目されるべきだと思っています。

 

このことは発電の問題と似ているような気がします。火力発電、原子力発電、水力発電、太陽光発電、風力発電、バイオマス発電などいろいろな発電方法がありますが、一つの発電方法だけに頼っていれば、何か問題が発生したときに電気をまかなうことができません。発電方法もいろいろなものを組み合わせてバランスをとるのが理想とするように、食肉も牛や豚、鶏だけでなく、ダチョウ、羊、ジビエなど、食料の安全保障上の観点から色々な食肉があったほうが良いのではないでしょうか。

 

これまでいろんな動物の死因を調べてきて思っていることですが、ダチョウってけっこうどこの動物園でも飼われているけど、あまり病気になることがないという印象です。むしろ、ダチョウに蹴られたり、突っつかれて負傷したキリンやシマウマなどは見たことがあります。ダチョウに蹴られて首の動脈が破れてしまい、失血死してしまったダチョウなんていうのもありました。

 

ダチョウも一応鳥類ですから、ヒナの時期には保温が必要で飼育には注意が必要です。3か月齢までに原因不明で死亡するFading Chick SyndromeFCS)と呼ばれるダチョウの病気がありますが、ある程度育つとその後はあまり病気になることはありません。

 

むしろ成長したダチョウは病気になりにくいことを反映してか、感染しても病原体を排泄するだけで症状を示さないダチョウも多くいると思われ、それがヒナへの感染源となってヒナに腸炎を引き起こしているのではないかというような事例も経験しています。

 

成長したダチョウでは、好奇心旺盛のせいか異物を飲み込んでしまって消化不良を起こしたり、けんかによる外傷から感染症を引き起こすダチョウを時々みる程度です。結構ひどい怪我を負っていても、気づいているのか気づいていないのか、平然としているダチョウも少なくありません。これといった病気もなく老衰で最終的に衰弱死したと思われるようなダチョウも病理解剖したことがあります。

 

動物園で生きている姿を見ていても飽きさせないダチョウ。大きな瞳でじっと見つめて何を考えているのでしょうか。

病気や死の観点からも、どうして病気になりにくいのかと驚かされるところに魅力を感じます。

ダチョウには、私たちが病気にならずに強く生きていくヒントが隠されているのではないでしょうか。

動物の死因究明センターをつくること、動物の死から生を考えるきっかけを提供すること、獣医学における法医学を確立すること、獣医病理学を拠点に色々な研究を橋渡ししたいなど、私には実現させたいことがいくつかあります。

その根幹にあるのは、未来の獣医学ため。人や動物、環境、そして社会がうまく成り立つために獣医学をとおして貢献したいということです。

 

やりたいことの一つに、動物の症例報告専門誌を作りたいというのがあります。あわよくばそれに医師も加わっていただいて、医師と獣医師で交流したいとも考えています。

 

一人の獣医師が生涯に経験できる症例は限られます。

実際に動物を診ていると、教科書通りの症例というものはそうあるものではありません。現実には様々な要因が合わさって複雑となっており、簡単に診断や治療ができるということはそれほど多くないものと思います。

 

まさに今も動物病院、動物園、水族館、動物実験施設など動物がいるあらゆるところで、一人一人の獣医師が悩みながらも動物と向き合っているのではないでしょうか。

 

症例報告は治療経過の記録 分析 それに

「医者の自問自答の記録」でもある

これは病理医が主人公の漫画「フラジャイル」13巻に出てくるセリフの一つです。

 

残念なことに、獣医学では症例報告できる場があまり多くありません。

獣医師が症例報告をする場としては、学会で発表することや、いわゆるジャーナルと呼ばれる学術雑誌に論文として発表することなどがあります。

 

しかしながら近年の傾向として、学会では時間厳守が徹底されるようになってきて、十分な議論ができないままに症例報告が終わってしまうことが多くなりました。

また学術雑誌においては、シンプルな症例報告は年々受け入れられなくなってきています。

 

獣医療においても、人の医療と同様に、根拠(エビデンス)に基づいた医療(EBM)の必要性が叫ばれて久しくなりました。

確かに症例報告はたまたまそうなった可能性が高く、エビデンスが乏しいために論文として掲載するには相応しくないという一面もあります。

 

しかし獣医学では、エビデンスがどの程度蓄積されているのかというと、まだまだ限られているというのが実感ではないでしょうか。

 

学術的な観点からすれば、たった一つの症例だけでは価値はあまりないかもしれません。

しかし、一つ一つの症例の背景には、飼い主や飼育員の想い、治療にあたった獣医師や獣医療従事者の悩みが無視できないほどにあります。

 

それぞれの獣医師がどのように考え、どのようにして症例に向き合ったのか、そして反省点は何だったのか、といったことを共有できる場がもっとあれば、そこから救える命がもう少し増えるように思います。

 

そして私は獣医病理学の立場から動物の遺体と向き合い、臨床獣医師の究極の答え合わせをするとともに、飼い主や飼育員の疑問に答える手助けをして、後に残されたたくさんの動物の命を救うことに貢献していきたいです。

人類が誕生する以前は、全ての動物が野生動物でした。

 

人類がだんだん集団生活や定住生活をするようになって、狩猟採集や農耕を始め、文化が育まれ、
やがて科学技術が発達してと今の社会に至っています。

その過程で、人は様々な形で動物を利用してきました。

 

伴侶動物、愛玩動物、ペット、エキゾチックアニマル、産業動物、経済動物、
実験動物、展示動物、使役動物、軍用動物、外来生物、野生動物・・・

私たちのまわりには様々な動物がいて、
色々な役割をもった動物たちのおかげで私たちは生きています。

 

元々は全て野生動物です。

目的に応じて様々な野生動物を飼いならした結果、いろんな役割をもった動物が生まれました。

こういった動物は、私たちが便宜上分けているのにすぎません。

同じ動物種でも、ときには違う分類にあてはまることもあります。

 

たとえば犬の場合、家庭で飼育されていれば伴侶動物ですが、盲導犬や聴導犬、身体障碍者補助犬、
警察犬、牧羊犬、検疫探知犬、災害救助犬などとして利用されれば使役動物になります。
闘犬も使役動物に含まれるかもしれません。
また、動物実験に用いられれば実験動物になります。

 

現在は伴侶動物と呼ばれている犬も、ちょっと前までは愛玩動物と言われていました。
かつて犬は愛玩の対象とされてきましたが、現在はかけがえのない家族の一員として認識され、
愛玩動物というより伴侶動物と呼ばれるようになってきています。


また、それより前は番犬であったり、狩猟の時代には狩猟犬として人類に貢献してきました。
戦時中には軍用犬として活躍してきた歴史もあります。

 

犬や猫など人に飼われてきた歴史が長いペットがいる一方、
エキゾチックアニマルと呼ばれる特殊なペットもいます。

エキゾチックペットには明確な定義はなく、ウサギやフェレット、ハムスターなどペットとして
定着してきたものから、スローロリスやカワウソなど一般には普及していない珍しい動物も含まれます。

 

ウサギ、フェレット、ジャンガリアンハムスター、ゴールデンハムスター、セキセイインコ、
ブンチョウなど、飼育方法や病気の予防法、治療が比較的確立されつつある
エキゾチックアニマルがいる一方、まだまだ飼育方法や病気、診断や治療が
未知のエキゾチックアニマルもたくさんいます。

 

エキゾチックアニマルの中には、野生からそのまま捕獲してきたものから、
飼育下で繁殖されたものまで様々なものが含まれます。
 

エキゾチックアニマルを飼いたいと思っている方は、売られている動物が
野生捕獲個体(WCWild Caught)なのか、飼育下繁殖個体(CBCaptive Bred)なのか
注意して見てください。

WCの場合は一般的に人や飼育下の環境には慣れておらず、
原産地の病原体やダニをそのまま保有している場合があります。

 

野生から捕獲した動物も、いったん飼育してしまえば野生動物とはみなされません。

また、飼えなくなった動物をかわいそうだから自然に返すという誤った認識が、
外来生物という不幸な動物を生み出してしまいました。

 

動物園に行けば、ゾウやキリン、ライオンなど様々な動物がみられます。

動物園で飼育されている動物は野生動物と混同されやすいですが、
厳密には野生動物ではありません。

これらは展示動物、動物園動物、あるいは飼育下野生動物などと呼ばれています。

 

動物園で飼育されている動物ももちろん、元々は野生動物でした。

しかし、現在では飼育下での繁殖技術が発達して、動物園で生まれた動物も増えています。

動物園で生まれて野生で生活したことがない動物は、もはや野生動物ではないですよね。

一方、最近では生息域外保全といって、絶滅の危機に瀕した動物を動物園や保護施設で飼育して、
繁殖を試みて絶滅を回避しようという取り組みもあります。

 

ウシやブタ、ニワトリなど、畜産物が利用される産業動物(家畜)と呼ばれる動物もいます。

経済活動に直結することから、経済動物とも呼ばれます。

産業動物はお肉や牛乳、卵など、私たちが生きていくうえで欠かせない食料となります。

 

現在は産業動物と呼ばれる動物たちも、ひと昔前までは庭先でペット同様に鶏を飼いながら
卵を採ったり、農耕や運搬のためにウシやウマを飼っていました。

 

最近では畜産物の生産現場と消費する場である家庭がかけ離れてしまった結果、
毎日食べている畜産物に感謝するという感情が希薄になってきているような気がします。

ただし、家畜の伝染病を予防する観点からは、一般の方が気軽に畜産農家に行き来するようなことは
避けた方が良いと思います。

生産現場と家庭をどのようにしてつなげていくのかを考えることは、
食育の観点からも大切なことと考えています。

 

産業動物については、しばしば劣悪な環境で飼われてかわいそうという声を聞きます。

しかし、少なくとも私が知っている畜産農家の方は例外なく愛情をもって家畜を育てています。

むしろ家畜にストレスをかけることは、病気の原因になります。

健康に育ち、おいしく食べられる畜産物をつくるためには、飼育に手を抜くことはできません。


次に実験動物。 

実験動物については、私たちが普段意識することはほとんどありません。

かわいそうとは思うけどなんとなく考えたくない、という感覚をお持ちの方もいらっしゃると思います。


私たちが毎日安全に生活できるように、あるいは科学の発展のために
人類に多大な貢献をしてくれているのが実験動物です。

実験動物は、産業動物、伴侶動物に次ぐ位置づけとして、「第三の家畜」と呼ばれることもあります。

実験動物がいなければ、身の回りの医薬品や治療機器、化学物質の安全が担保されません。

 

実験動物や動物実験というと、マイナスのイメージを持たれる人が多いと思います。

しかし、現在は実験動物に対する多くの配慮がなされており、
なるべく実験動物の使用数を減らしたり、苦痛を可能な限り減らしたり、
生きた動物を使わない代替法を考えたりと、様々な努力が続けられています。

 

動物実験に関する究極の目標は、実験に生きた動物を使用しないことです。

しかしながら現在のところ他に方法がなく、やむなく動物を用いた実験が必要なことが多いのが現状です。

科学的な観点と倫理的な観点の双方から考えて、妥当性を評価したうえで動物実験は実施されています。

研究者は、常に動物実験によって得られる知見と
動物に与える苦痛を常に秤にかけながら実験を行っているはずです。

 

実験動物について思うところもあります。

貴重な生きた動物を使って実験したのに、目的とする一つの臓器だけを採取して
実験が終了されることが多いということです。

研究費や時間の制約もありますが、命を奪って実験をするのですから、
実験目的に関わらず様々な臓器を使って有効利用させてほしいものです。

 

科学における重大な発見の多くは、意図しない結果や偶然の発見、
すなわちセレンディピティによってなされてきた部分も少なくないと思います。

目的のデータのみを採取して実験を終了するのではなく、全身余すことなく調べることで、
本来の実験目的とはまた別の価値ある発見につながることがあるかもしれないのではないでしょうか。

 

以上、私たちのまわりには、意識する・しないに関わらず様々なかたちで動物が存在しており、
多くの動物たちの恩恵を受けて私たちは生活ができて、社会が成り立っています。


本来人とは離れた存在である野生動物でさえ、近年人や社会との距離が近くなっており
無関係ではいられません。

 

動物をただ「かわいい」とか「かわいそう」だけではなく、
様々な観点から動物の存在に思いをはせてほしいと思っています。

そのうえで、動物のために何ができるのかを考え、
より良い社会にしていくためにはどうしたらいいのかを考えていきたいです。

 

私は獣医病理学の視点から、こういった様々な動物たちがどのような病気にかかり、
なぜ死亡したのかを明らかにして、動物たちの代弁者になりたいと考えています。

そこから人や動物、環境がうまく共生できるヒントが見つかればと思っています。

体が細長く手足が短い姿、活発に動き回る仕草、
尻尾で支えて
2本足で立ち上がる行動などから、
ミーアキャットは動物園の人気動物の一つです。


ミーアキャットの前では子どもも大人も、長く立ち止まって
観察していることではないでしょうか。

 

ミーアキャットは来園者にとって人気があるだけでなく、
動物園にとっても飼育管理をする中で健康上の問題が少なく、
飼育しやすい動物だと思います。

そのためか、ミーアキャットは多くの動物園で飼育されています。

 

比較的病気になりにくいからか高齢のミーアキャットも増えており、
動物園で死亡したミーアキャットを病理解剖すると
腫瘍(がん)が見つかることがよくあります。

 

犬や猫などのペットとは違って、動物園では頻繁に動物と直接触れ合うことが難しく、
かなり腫瘍が進行していたとしても、病理解剖して初めて見つかることも稀ではありません。

 

しかもミーアキャットでは特定の臓器に腫瘍ができやすいという訳ではなく、
個体によって頭の先からお腹の中、手足まで全身の様々な臓器に
まんべんなく色々な腫瘍が発生する印象です。

 

どんな動物も長く生きれば生きるほど、おそらく腫瘍の発生率は高くなります。

ミーアキャットは飼育数が多く、高齢の個体も増えていますので、
腫瘍の早期発見のためには定期的な健康チェックが必要と思います。

 

ミーアキャットの特徴としてはもう一つ、社会性があることがあげられます。

動物園でも複数個体を飼育しているところが多いのではないでしょうか。

そして社会性があり個体同士が密接に触れ合うことが多いからか、
感染症が発生すると他の個体にも感染が広がることがあります。

ミーアキャットを飼育をする上では、感染症の予防も重要なポイントです。

 

動物園の他に、ペットとして家庭でミーアキャットを飼われている方もいます。

私は実際にミーアキャットを飼育したことはありませんが、
少なくとも犬や猫と同じ感覚では飼育できません。

動物の知識があまりなく、犬や猫と同じように可愛がりたいという方には
飼育に向いていないと思っています。

 

ペットとしてのミーアキャットは、動物園ほど数は多くなく、ペットの歴史が浅く、
そして全体として高齢に差し掛かっていないからか、
病理解剖で腫瘍を見つけることはあまり多くありません。

ペットのミーアキャットの病気や死亡の原因は、飼育管理の不備によることが多いです。

 

飼い主の足元付近を動き回っているうち誤って尻尾や手足を踏んでしまったりと、
活発なことから思わぬ事故がよくあります。

不慮の事故に気を付け、温度管理と適切な餌を与えていれば、
あまり病気をすることなく飼育できるのではないでしょうか。

そして長く生きるためには病気の早期発見は大切で、
動物病院での定期的な健康チェックは重要です。

 

ただし、本来社会性のある動物を1頭だけで飼うことの意味は
よく考えなければならないと思います。
飼い主の存在がそれを補うことができるのか、
というところは今後検証していかなければならないのではないでしょうか。

 

ミーアキャットはもともと病気になりにくいのか、
実はあるけどまだ分かっていないだけなのかは分かりません。

ただ、症例報告や成書を見る限りではミーアキャットの病気の記載はほとんどありません。

 

私のこれまでの経験でも、動物園では高齢に伴って腫瘍になることが多く、
家庭では不慮の事故が多い印象です。

 

ミーアキャットが病気になりにくいのが本当なら、理由が知りたいと思っています。
それと飼育環境における社会性 の有無が、腫瘍の発生や寿命に影響しないのか
というところも気になります。 

このことはあくまで私がこれまでミーアキャットを病理解剖してきた経験から
感じていることなので、実際にミーアキャットを飼育している飼い主や飼育員や
詳しい方がいらっしゃいましたら、ぜひご教授ください。

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