獣医病理学者Shinのブログ

動物の病気あるいは死体の専門家からみた、色んな動物や科学に関すること

2020年01月

中国で発生した新型コロナウイルスによる肺炎の拡大が続いており、留まる気配がありません。

 

この新型肺炎はヒトの病気であることから、ヒトの感染予防や対策について私の立場からは詳しく言及しません。厚生労働省や国立感染症研究所のホームページでは、情報が随時更新されていますのでそれらをご参照ください。


すでに日本国内でも感染者が確認された以上、水際対策には限界があり、個人個人が感染、発症しないように対策しておくに越したことはありません。

 

風邪やインフルエンザなど通常の感染対策に加え、何よりもしっかり休息、睡眠時間をとって体力をつけておくことが重要です。

 

SARS(重症急性呼吸器症候群)やMERS(中東呼吸器症候群)が2000年代になって新たに出現してくる前、ヒトに感染するコロナウイルスは風邪を引き起こすありふれたウイルスという存在で、医学的にはあまり重要視されてこなかったように思います。コロナウイルスの培養が難しく研究しにくかったという事情もあったのかもしれません。

 

動物にも、病気を引き起こすコロナウイルスがあります。中には致死的な病気もいくつかあることから、コロナウイルスは獣医学にとっては古くからなじみのあったウイルスと言えます。


一般にコロナウイルスは宿主特異性が高く、種の壁を超えることはほとんどありません。それぞれの動物に固有のコロナウルスが存在します。

 

子犬の小腸に感染して、下痢や嘔吐を引き起こします。病原性はそれほど強くありません。ただし、パルボウイルスといっしょに感染することで、症状が重篤になることがあります。その他、呼吸器に感染するコロナウイルスもあり、いわゆるケンネルコフの原因の一つとなっています。

 

新生子牛や成牛に下痢を起こします。乳牛では乳量が減少するため、経済的損失の原因になります。呼吸器に感染することもあります。他の病原体との混合感染、感染しても症状がない不顕性感染などもあります。

 

鶏やまれにキジに感染し、伝染性気管支炎という病気を引き起こします。気管支炎という名のとおり呼吸器に感染しますが、腎炎、産卵率の低下や異常卵の原因にもなります。伝染力が強く変異もしやすいため、何度も感染を繰り返します。

 

七面鳥

七面鳥に腸炎を起こすコロナウイルスです。

 

マウス

実験動物のマウスに腸炎、または様々な臓器で増殖するマウス肝炎ウイルス(MHV)があります。伝播力が強く、世界中でまん延しているといわれていますが、通常の免疫機能をもつマウスでは感染しても症状を示すことはあまりありません。

 しかし現在、ヒトでは免疫不全や免疫抑制状態にある患者が増加していること、ヒトのがん細胞を実験動物に移植してヒトのがんを研究する機会が増えていることなどから、これらの研究のために免疫不全マウスが用いられることが増えています。MHVは免疫不全マウスに感染すると、慢性消耗的に重篤な病気を引き起こします。私も海外の症例を何度か見せてもらったことがあります。

 

子猫に腸炎を起こす猫腸コロナウイルス(FECV)と、猫伝染性腹膜炎(FIP)という慢性進行性の全身性疾患を起こす2つのウイルスがあります。前者の病原性は低いですが、後者のFIPは非常に致死率が高い病気です。猫の飼い主にとっては、この病気で飼い猫を亡くされた方も少なくありません。

FECVは猫から猫へ感染し、ほとんどの猫が感染しています。ですが、症状を示すことはほとんどありません。

 興味深いことに、猫に感染したFECVが体内で変異を起こしてFIPVになり、猫伝染性腹膜炎を引き起こします。伝染性と名前がついていますが、FIPを起こすウイルスが猫から猫へ感染することはないようです。FECVからFIPVに変化するメカニズムは、いまのところ詳しく分かっていません。

 

フェレット

フェレットにも腸炎を起こすコロナウイルス(FRECV)があることは以前から知られていましたが、近年、猫伝染性腹膜炎と同じように全身に病変を形成するコロナウイルス(FRSCV)感染症もしばしば見るようになってきました。

 FRSCVは、お腹の中のリンパ節が大きく腫れることがあるため腫瘍と勘違いされることも多く、アリューシャン病などフェレットの他の重要な病気と症状が似ている、つまり特徴的な症状がありません。私も何例か病理解剖したことがありますが、今後症例が増えていく可能性もあって注目しています。

 

上記のように動物では、それぞれの動物ごとにだいたい1種類か2種類のコロナウイルスがあるのみでしたが、豚では5種類(プラス1種類あり、それは後述します)のコロナウイルスがあります。

豚伝染性胃腸炎(TGE)、豚流行性下痢(PED)、豚血球凝集性脳脊髄炎、豚呼吸器コロナウイルス感染症、豚デルタコロナウイルス感染症です。

TGEPEDはどちらも下痢を起こし、哺乳豚では致死率が100%に達する病気で、症状や病変は非常に似ています。最近、下痢を起こす豚デルタコロナウイルス感染症も新たに報告されました。豚呼吸器コロナウイルスは、TGEウイルスが変異したものともいわれていて、感染しても症状を示すことはほとんどありません。興味深いことに、豚呼吸器コロナウイルスが蔓延しているヨーロッパでは、TGEの発生が減少しているともいわれています。豚血球凝集性脳脊髄炎には、脳脊髄炎を起こすタイプと嘔吐・衰弱を起こすタイプがあります。

 

ペットのミニブタ
 数年前から、ペットのミニブタが流行しています。ペットのミニブタは、種としては家畜の豚と同じ動物種です。そのため、家畜の豚に感染する病原体は、ペットのミニブタにも同じように感染します。

実際、私はペットのミニブタで、上記のPEDを診断したことがあります。PEDは家畜伝染病予防法で届出伝染病に指定されています。その他にもペットのミニブタで、家畜の豚で問題となる感染症をいくつか経験しています。ミニブタの飼い主の方は、家畜の豚と直接または間接的に接触することがないように特に注意が必要です。

 

種の壁を越えるコロナウイルス

これまで述べてきたように、コロナウイルスは基本的にはヒトを含めてそれぞれの動物ごとに固有のコロナウイルスがあり、種の壁を越えて他の動物に感染したり病気を起こしたりすることはあまりありません。

 

例外的に種の壁を越えるコロナウイルスが、2000年代に出現したSARS(コウモリからヒト)であり、MERS(ラクダからヒト)です。

それともう一つ、種の壁を越えて感染するコロナウイルスが最近報告されました。

 

2018年に中国人の研究者によって報告された豚の病気です。

その名もswine acute diarrhoea syndrome coronavirus (SADS-CoV)、日本語に訳すと豚急性下痢症コロナウイルスになるでしょうか。

 

201610月、中国のある農場で、豚が急性の下痢を引き起こして相次いで死亡し、当初は豚流行性下痢(PED)ウイルスが検出されていたことからPEDの流行とされていました。

ところが、PEDウイルスが検出されなくなっても豚の死亡が続き、4つの農場で24,693頭の子豚が死亡しました。

 

論文の著者らは、これらの豚からPEDウイルスとは異なる新たなコロナウイルス、swine acute diarrhoea syndrome coronavirus (SADS-CoV)を発見しました。

 

興味深いことにそのウイルスは、以前に近くに生息するコウモリ(キクガシラコウモリ)から分離されたコロナウイルスとかなり類似していたものでした。

さらに興味深いことに、この豚の病気が発生した場所は、2003年にSARSの症例が初発した場所の近くだったのです。また、SARSウイルスを元々保有していた動物も、キクガシラコウモリではないかといわれています。

 

ヘビはコロナウイルスに感染するのか

今回の新型コロナウイルス肺炎では、(他の野生動物を介して)ヘビが感染源になったのではないかとする情報もありました。

この大元の論文はまだ見ていないですし、ヘビがどの程度関与していたかどうかは現時点ではよく分かりません。それは今後明らかにされていくことと思います。

 

少なくとも、ヘビに感染して病気を引き起こすコロナウイルスは知られていません。上記のように、種の壁を越えるコロナウイルスはいくつか知られているものの、それらはいずれも哺乳類どうしで感染します。変温動物のヘビでは、恒温動物である哺乳類のコロナウイルスに感染して病気を起こすということは、可能性がないわけではありませんが今のところ知られていません。

 

ヘビの新興感染症

コロナウイルスに比較的近いウイルスとして、2014年にヘビ(ボアやパイソンの仲間)の新しいウイルス感染症であるニドウイルス感染症がいくつかのグループから報告されました。これは致死的な肺炎や口内炎を起こすヘビの新興感染症です。

 

上にあげた哺乳類のコロナウイルスは、

ニドウイルス目コロナウイルス科コロナウイルス亜科に属するウイルス


ヘビのニドウイルスは、

ニドウイルス目コロナウイルス科トロウイルス亜科2014年の論文掲載時)

(ただし、2018年に国際ウイルス分類委員会より、ニドウイルス目の分類が少し変更されています)。

 

トロウイルス亜科はさらに、牛や馬、豚に感染するトロウイルス属と、魚から分離されたBafiniウイルス属があり、ヘビから分離されたウイルスはそれらとは独立した属だろうとされていました。

 

ヘビのニドウイルス感染症はヘビの新興感染症であり、ヘビに致死的な呼吸器疾患を引き起こします。欧米での発生が知られていましたが、私もこの病気にかかったボールパイソンを病理解剖したことがあるので、すでに日本でも発生しています。ちなみに、この感染症はボアやパイソンといったヘビが感染しますので、今回の中国で感染源として疑われたヘビとは関係なさそうです。

 

ヘビに肺炎を引き起こすニドウイルスは、分類的にはコロナウイルスに割と近いものの、ウイルス粒子の形態は細長くてコロナウイルスとは似ていません。

新興感染症であることと、致死的な肺炎を起こすことは、何となくヒトのSARSなどと似ていないことはありませんが。

 

以上、動物のコロナウイルスについて説明しました。


こうして色んな動物のコロナウイルスを見ていると、コロナウイルスは変異しやすいウイルスということが分かります。コロナウイルスは基本的に種の壁を超えることはありませんが、SARSMERS、豚のSADS-CoVのように例外もあります。

これらのこと、そして今回の肺炎では軽症者や症状が出ていない感染者もいるらしいことなどから、決して楽観視はできません。ウイルスが変異していく可能性も考慮して、新しい情報の更新を待ちつつしっかりとした対策をとっておく必要がありそうです。

 

最後に

新興感染症といえばヒトの病気に関心がいきがちですが、動物にも新興感染症や再興感染症があります。

最後に説明した豚のSADS-CoVやボールパイソンのニドウイルスなどはその最たるものです。ボールパイソンは、国内ではコーンスネークと並んで人気が高いペットのヘビです。これらのヘビに限らず、いわゆるエキゾチック動物や野生動物では、まだまだよく分からない病気がたくさんあります。犬や猫でさえ、病理解剖できないためになぜ死亡したのか、診断は正しかったのか、治療はどの程度効果があったのかが分からずになってしまうケースがあまりにも多いのが現状です。

 

様々な動物の病気や死のことをもっと知るために、そして死から学んで生に生かすために、動物の病理解剖、死後検査にご協力ください。その動物の最後の声なき声を聞かせてください。動物を病理解剖して死因を考えることは、飼い主にとっては死を納得して受け入れることにつながりますし、残された多くの動物たちのためにもなります。


これからは、動物の病気と人の病気は無関係でいられなくなります。  
動物の健康を守ることは、人の健康のためにも地球環境のためにも非常に大切です。 

 

参考資料

・動物の感染症(第4版)、近代出版

・獣医微生物学(第2版、文永堂

・農研機構 動物衛生研究所ホームページ 家畜・家禽のコロナウイルス病http://www.naro.affrc.go.jp/laboratory/niah/disease/sars/index.html

Zhou P et al. Fatal swine acute diarrhoea syndrome caused by an HKU2-related coronavirus of bat origin. Nature. 2018, 556: 255-8.

Stenglein et al. Ball python nidovirus: a candidate etiologic agent for severe respiratory disease in Python regius. 2014. mBio, 5: e01484-14.

Bodewes et al. Novel divergent nidovirus in a python with pneumonia. J Gen Virol. 2014, 95: 2480-5.

東京大学出版会から出版された「野生動物問題への挑戦」

という本を読みました。著者は獣医師である羽山伸一先生で、野生動物に関心がある人なら誰もが知っている著名な先生です。

 

野生動物問題は私たちの生活と密接に関係しており、人類にとっても野生動物にとっても地球にとっても、社会全体で考えていく必要があります。

この本は、社会問題化している野生動物の問題に私たちがどのように向き合っていくべきか、著者の思いが込められています。

 

この中で少し触れられていることで、まさに私が目指しているものがありました。それは、「野生動物の保健所」のような組織が日本にも必要だということです。

 

野生動物は従来、法的な位置付けが非常に曖昧でした。所有者がいないということもあり、獣医学教育の中でも昔は野生動物についてはほとんど教わる機会がありませんでした。

 

しかし、開発などに伴って野生動物の減少や生息地の破壊が深刻な問題になり、現在では一部の種で個体数の増加も問題となっています。

 

さらに、近年とくに懸念されているのが、野生動物の感染症です。

狭い国土の日本で野生動物に感染症が流行すると、種の存続が危ぶまれるだけでなく、病原体が野生動物を介して人やペット、家畜、動物園動物などに伝播される危険性があります。

実際、海外で問題となっている人の動物由来感染症や家畜の感染症の多くは野生動物に由来します。

 

近年、野生動物による農作物被害や住宅地への出現、あるいは狩猟やジビエに象徴されるように、人と野生動物との距離がとても近くなってきています。

野生動物との直接または間接的な接触の頻度が増加すると、野生動物由来の病原体が人に持ち込まれる可能性が高まります。

 

しかし、野生動物にどのような病気があるのか、これまでほとんど調べられていません。野生動物がどのような病気に罹患し、どのように死亡しているのかが分からなければ、野生動物の病気が人やペット、家畜や動物園動物にとってどの程度危険なのか評価することができません。

感染症だけでなく、化学物質汚染の実態や野生動物への影響もきちんと調査していく必要があります。

 

海外に目を向けると、狂犬病、エボラ出血熱、高病原性鳥インフルエンザ、SARSMERS、口蹄疫など重要な野生動物由来感染症が多くあります。

そして、国や行政が積極的に野生動物の病気や病原体を調査しています。

 

台湾で2013年、狂犬病に感染している野生のイタチアナグマが見つかったことは記憶に新しいことです。

台湾で50年ぶりに狂犬病が見つかったのも、野生動物の病気ときちんと調査していたからです。

 

日本では、動物に関連する人の健康は厚生労働省の保健所や食肉衛生検査所、家畜の健康は農林水産省の家畜保健衛生所が所管しています。

野生動物は環境省の所管ですが、まだまだ歴史が浅く、野生動物の病気を調べる機関や体制がありません。

 

しかし、狭い日本の国土では、アライグマやヌートリアなど数多くの外来生物が問題となり、現在でもカワウソやサル類、爬虫類など様々な動物の違法な持ち込みが後を絶ちません。このような動物の人為的な移動に伴って、海外の病原体が国内に持ち込まれる可能性は決して否定できません、

 

日本産の野生動物は、ツシマヤマネコ、イリオモテヤマネコ、オオワシ、ツキノワグマ、ジュゴンなど数々の動物の絶滅が危惧される一方、増えすぎたシカやイノシシなどによる人との接触が問題になっています。

 

このような現状の中で、貴重な野生動物を守るためにも、そして野生動物の感染症が人、家畜、ペット、動物園動物などにもたらされることを防ぐためにも、野生動物の病気や死を調査して健康状態を把握する必要があります。

 

そのような取り組みを環境省や自治体には期待したいところですが、現状では難しいのでしょうか。

いきなり設備を整えて、野生動物の病気を調べるというのはなかなかハードルが高いかもしれません。

 

しかし、死亡した動物を病理解剖して死因を調べることなら、解剖器具と解剖できる場所さえあれば可能です。(ただし、感染症対策のためにある程度の設備は必要ですが)実際、私は身一つで動物園や水族館、動物病院などに出向いて病理解剖をしています。

 

死因を詳しく調べるための病理標本作製も、そこまで手間がかかるものではありません。

病理解剖して臓器の一部を保存しておけば、後々必要となった時に様々な検査をすることもできます。

 

ここで一つ重要なことがあります。それは、野生動物を調べて病原体や化学物質が検出されたからといって、それが野生動物の病気や死に直結しているとは限らないということです。もちろん、病原体や化学物質の汚染状況を調べて人への影響を評価するという意味では、検出されたことにも意義があります。

 

大事なことは、野生動物から病原体や化学物質が検出されたとして、それが野生動物の体の中でどの程度悪さをしているのかを、病理学的にきちんと評価することにあります。

 

野生動物の健康状態を調査して情報発信する保健所

野生動物の病気や死を調べることは、野生動物を守るためだけでなく、野生動物から感染する危険性がある病原体から、人や家畜、ペット、動物園動物などを守ることにもつながります。化学物質汚染の観点からも、野生動物の死体には自然からの警告が含まれているはずです。

 

私は、野生動物を含めあらゆる動物の病気や死因を調べ、臓器や細胞をストックし、動物の病気の情報を発信していきたいと考えています。

野生動物の病気を知ることは、人、動物、自然環境、いずれの健康にとっても大切なことです。

依頼があれば私はいつでも動けるように準備していますよ。

 

動物の法医学、野生動物の保健所、動物の死因究明センターなど、色んな勉強会をしたいと思っています。様々な専門家とネットワークを構築したいと思っていますし、専門家に限らず色々な立場の方とも意見交換をしたいです。興味がある方がいらっしゃいましたらぜひご協力ください。
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25年前の今日、阪神大震災が発生しました(ブログの更新で少し日付が変わってしまいましたが)。当時私は中学生で東大阪市に住んでいました。

私自身や身近なところに大きな被害はなかったものの、大阪の中心部でさえものすごい地響きと大きな揺れを感じ、今になっても小さな揺れにも敏感に反応してしまいます。

 

そして2011月には東日本大震災が発生しました。その頃私は大学院生で関東に住んでおり、その時も私自身に大きな被害はありませんでしたが、阪神大震災の時とはまた違った不気味な揺れだったと記憶しています。

 

その後も2016年の熊本地震、2018年の西日本豪雨、2019年の相次ぐ大雨や台風など、度々大きな災害に見舞われています。

 

阪神大震災では建物の倒壊や火災の恐ろしさを学び、東日本大震災では津波や原発事故の恐怖を味わい、昨年や一昨年には水害の怖さを目の当たりにしました。その度にたくさんの尊い命が犠牲になり、失われたものは決して返ってきませんが、私たちはこれからも忘れることなく学び続けなければいけないものと感じます。

 

阪神大震災の時は中学生だったものの、関東大震災以降こういった大きな災害があるたびに、獣医師として何ができるだろうかと考えてきました。しかし、私は獣医病理学者(獣医病理診断医)であり、生きた動物を診察して治療する臨床獣医師ではありません。簡単な診察や処置はできないことはありませんが、臨床的なことができたとしてもそれは限られます。

 

東日本大震災の際には、地方自治体に所属する獣医師が、公衆衛生対策のために現地に派遣されました。

また、東日本大震災を契機としてここ数年の間に、災害時や緊急時に動物に対するケアや初期対応を行うVMAT(災害派遣獣医療チーム)というものが、いくつかの地域の獣医師会で結成されました。

 

これまでは個々の獣医師のボランティアによる対応だったものが、ここ数年、臨床獣医師や公衆衛生獣医師による組織だった活動が少しずつ進んできています。

 

そんな中、獣医病理学の立場として何ができるだろうか。

獣医病理学は、病気がなぜ起こったのか、どのようにして亡くなったのかを明らかにする学問です。

 

災害の時には、動物も犠牲になります。災害による直接的な原因ではなかったとしても、その後に災害に関連して、あるいはストレスや感染症などで病気になり、亡くなる動物も少なくありません。飼い主と一緒に避難できず、どこか別の場所で死亡するケースもあります。また、感染症が発生した場合やあるいはそうでなかったとしても、人や動物へ感染が広がる可能性を考慮して遺体を適切に処置する必要性も生じてきます。


そんな動物を検死、場合によっては病理解剖して、死因を明らかにした上でご遺族にお返しすることはできないか。病理解剖せずとも、ご遺体を可能な限り綺麗にしてお返しできないだろうか。 

 

ペットとして飼育されている多くの動物は、家族同様の存在として大切に飼われています。そうであれば、亡くなった動物も人と同じように丁寧に扱い、場合によっては死因を明らかにしていきたいと考えています。正直なところ、災害のような非常時に動物がどのようにして亡くなり、そして災害後に災害に関連して亡くなった動物の場合には、どのようにして病気になっていくのか、その詳しいメカニズムはあまり分かっていません。

不幸にして亡くなった動物の声なき声に耳を傾けて、その動物の最期がどのようなものであったのかを見届けたいと思っています。それは、亡くなった動物の尊い死を無駄にすることなく、残された動物たちのためになることでもあります。


ある程度責任のあるポジションとなり、 比較的自由に動けるようになった現在、一人の人間としてはもちろんですが、獣医病理学の立場として人や動物のためにできることは何かを考え、できることは実践していきたいと思っています。
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今日は臓器の話として、心臓を取り上げます。

 

心臓は心筋という特殊な筋肉の塊でできており、酸素や栄養を含んだ血液を全身に送るポンプの役割を果たしていているということは、よく耳にします。

 

心臓は生命の根幹となる大切な臓器ですが、ものすごく単純化して考えると、心臓は発達した血管のようなものと言われたらびっくりしますか?

 

心臓には動脈や静脈がつながっていて、心臓と全身に張り巡らされた血管はひと続きになっています。そして、動脈や静脈が内膜、中膜、外膜の3層構造となっているのと同じように、心臓も心内膜、心筋層、心外膜の3層構造になっています。

 

胎生期において心臓が作られる過程はものすごく複雑ですが、理解しやすいようにかなり大雑把に説明します。

 

そもそも心臓の始まりは、2本の血管が融合して、1本の筒のような構造を作ることから始まります。心臓の始まりがまさに血管なのです。

 

1本の単純な筒状のものにやがてくびれが生じて、いくつかの膨らみができます。団子が重なったようなイメージです。そして、この重なった団子が回転してねじれて、中に仕切りの壁が作られることで、最終的に2心房2心室の複雑な心臓が出来上がります。

 

私たち哺乳類の心臓と血管は、

全身→静脈→右心房→右心室→肺→左心房→左心室→動脈→全身へ

という流れで血液を循環させて、酸素や二酸化炭素、栄養分や不要な代謝物を運搬しています。心室を二つに分けることで、肺の循環と体の循環という二つの経路を作ることができました。

 

肺を持たない魚類はどうでしょうか。水中生活をする魚では、肺ではなく鰓呼吸をしています。そのため、

全身→静脈→心房→心室→動脈→鰓→動脈→全身へ

となっています。肺へ循環させる必要がないため、単一の経路になっているのが哺乳類との違いです。心臓から送り出された血液は鰓に向かい、鰓から全身に血液が送り出されています。そのため、心臓はより単純な形をしており、複雑な形ではありますが、血管が発達してできた1本の管という名残が何となく残されています。

 

魚類からやがて両生類、爬虫類、哺乳類や鳥類と陸生生活になるに従って、魚類の1心房1心室から、両生類の2心房1心室、爬虫類では2心房1心室だけど心室を二つに分ける仕切りができ始め、鳥類や哺乳類では完全な2心房2心室に至ります。

 

実際には魚類、両生類、爬虫類の中でも微妙なバリエーションがありますが、基本は上記の通りです。脊椎動物の心臓で特筆すべきところは、爬虫類の中でもワニは例外的に完全に2つに分かれた心室を持っており、2心房2心室になっているところです。

 

そもそも心室が二つあるということは、肺へ送る血液(静脈血)と全身へ送る血液(動脈血)を分けているということを意味します。

 

ワニや鳥類、哺乳類の心臓の違いを説明し始めると、左右の大動脈弓の話までしないといけないのでどんどんややこしくなりますが、ここでは簡単に説明します。

 

ワニでは、左心室から右大動脈弓が出ていて、右心室からは肺動脈と左大動脈弓がつながっています。さらに、左右の大動脈弓をバイパスするパニッツァ孔という通り道があって、潜水時と陸上とで血液の流れを変えています。

これによって潜水時には無駄な肺循環を止めることで、代謝を下げて長期間潜水することが可能となります。

 

鳥類や哺乳類にはこのようなバイパスがなく、そもそも鳥類は右大動脈弓だけ、哺乳類では左大動脈弓しかありません。鳥類と哺乳類は恒温動物であり、常に体温を一定に保つ必要があることから、ワニのように潜水時には肺循環を停止させて代謝を下げるということができないのです。

 

心室が二つあるということは、静脈血の肺循環と動脈血の体循環を分けているということを意味します。心室を一つしか持っていないカメやトカゲでは、動脈血と静脈血が混じり合ってしまうことが心配されます。しかし、実際には動脈血と静脈血を巧妙に分けることで、必要に応じて肺呼吸への依存度を低くして、代謝を抑えることができるのです。

昔、冷凍されたカミツキガメを解剖する機会がありました。解凍していざ解剖を始めてみると、心臓がまだ動いていたということがあって、びっくりした記憶があります。
 

まるで舌が二枚あるかのように、前後の矛盾したことやウソを言うことを、俗に二枚舌といいます。実際に舌が二枚あったらびっくりしますよね。

 

でも実は、本当に二枚の舌がある動物がいるのです。

それはキツネザル、ロリス、ガラゴといった、原猿類と呼ばれる原始的なサルのグループです。

 スローロリスはペットとしてブームにもなり、不法な輸入で問題になることが度々あります。

 

これらのサルには、舌の下に小さな舌があって、実際に二枚の舌があるのです。学生の頃、初めてキツネザルを解剖したときに感動しました。なぜ二枚の舌があるのかは、よく分かっていません。

 

これらのサルには他にも共通することがあります。

下顎(したあご)の前歯が櫛(くし)またはコームのように密生していて、櫛歯とよばれる特徴的な歯のつくりをしています。

この櫛歯は毛づくろいのためにあるとされています。

 

コームのような細かい歯で毛づくろいをしたら、毛や食物などがすぐに引っかかってしまうと思いませんか?そんな絡まった毛などを取り除いたり、櫛歯のケアをするために二枚目の舌があると言われていますが、実際のところはどうなのか分かりません。

 二枚目の舌には味覚を感知する受容器がないので、味を感じる役目はなさそうです。

 

そしてもう一つ、これらのサルに共通することがあります。

それは、後ろ足の人差し指だけがかぎ爪になっているということです。

他の指の爪はみんな私たちと同じ平爪なのに、そこだけなぜか、かぎ爪なのです。

かぎ爪も毛づくろいのためといわれています。


毛づくろいが、この動物にとってはとても大切ということなのでしょうか。

 

二枚の舌、櫛歯、かぎ爪。

動物園でキツネザルを見かけたら、ぜひじっくりと観察して探してみてください。双眼鏡を持参するのも良いでしょう。

ゾウやキリン、カバといった動物園の花形的な存在だけでなく、キツネザルのような動物たちを時間をかけてよく観察するというのも色々な発見があって、それはそれで動物園の楽しみ方の一つになると思います。

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