朝晩の気温がぐっと下がり、すっかり秋めいた季節になりました。

この夏は例年にないくらい猛烈な暑さが続き、とくに暑さに慣れない夏の前半には熱中症で死亡した動物をいつもよりもたくさん病理解剖したように思います。

異様な暑さはようやく落ち着いてきましたが、季節の変わり目も動物は体調を崩しやすくなるため、動物を飼われている方は引き続きご注意ください。

 

夏が終わってこの数ヶ月を振り返ってみると、熱中症を差し引いても動物の死といつもよりたくさん向き合っていた気がします。新型コロナウイルスの影響により自宅で過ごす時間が増えた、新たにペットを迎えたなど、様々な事情で飼い主が動物と過ごす時間が多くなったということも考えられなくはありませんが、たまたま病理解剖が増えただけということかもしれません。

 

病理解剖は多くの場合、動物病院や動物園、水族館の獣医師から依頼が入ります。企業や官公署や大学といった機関のほか、飼育員や繁殖業者や愛好家から死因を究明してほしいという依頼もあります。

また、ここ数年では動物の飼い主から病理解剖の依頼や相談を直接いただく機会が少しずつ増えてきています。

 

様々な原因で死亡した動物を病理解剖して、その動物がどのようにして病気と戦って生きてきたのかを観察するために病理解剖を行います。

動物の体を構成する臓器や細胞は、病気によって形を変えられます。その異常な変化を直接この目で捉えることで、私たちはより正確に病気を理解することができます。

 

病理解剖は、生前に実施していた検査の数字に意味を持たせることでもあるのです。獣医病理学は動物の「死」を扱う学問と思われがちですが、「死」から遡って「生」を考える学問でもあります。

 

病理解剖によって病気と死の原因やその成り立ちを明らかにすることは、臨床獣医師にとっては生前の診断や治療の妥当性を評価することにつながり、それが後の治療に生かされますし、飼い主にとっては大切な動物の死を理解して受け入れることにつながります。

 

残念ながらとても悔しいことではありますが、病理解剖をしても原因がよく分からなかったということもあります。そのような場合でも、一つ一つを丁寧に積み重ねていくことで少しずつ病気の本質に迫り、かけがえのない生を後に残されたたくさんの動物に託すことができます。

 

病理解剖を希望される飼い主の方とお話をしていると、悲しみ、後悔、怒り、混乱など様々な感情を読み取ることができます。大切な動物を失いながらも、それでも死因を明らかにしたいという飼い主の思いには、ただただ敬服するばかりです。

 

私は、飼い主から直接病理解剖の相談をいただいたときには、

「一晩考えたうえで、それでも病理解剖を希望される場合は翌日連絡をください。」

と言うことが多いです。

後々あのとき病理解剖しなかったという後悔は大きいものですが、病理解剖をした後悔がもし生まれるとしたら、それと同じくらい無視することができません。

 

動物は亡くなると死後変化が始まり、死後の時間が進めば進むほど正確な死因を判定することが難しくなります。本当は亡くなってすぐに病理解剖を始めたいところですが、それでも一晩考えてもらいます。亡くなった動物とひと夜をいっしょに過ごして気持ちの整理をつけてもらった上で、それでも希望する場合は、病理解剖させていただきます。

 

中には、「ずっと病気で治療を続けてきたけど、原因がよく分からないので、この子が亡くなった時には病理解剖してください。」と、亡くなる前から病理解剖を希望される飼い主もいらっしゃいます。そのように言っていただいていたとしても、「亡くなったその時がきたら一晩考えて、やはり気持ちに変わりがなければあらためて病理解剖のご連絡をください。」とお願いしています。

 

一晩考えてもらってそれでも病理解剖を希望する、やっぱり病理解剖をしないというのは、だいたい半分半分という印象でしょうか。

 

本当は、1頭でもたくさんの動物を病理解剖して、後につなげていきたいという思いがあります。しかし、亡くなった直後の気持ちに整理がついていない段階で病理解剖の決断をして後悔が生まれてしまうと、そのことが後になってもずっと引きずったままになってしまう恐れがあります。ですから亡くなった直後は病理解剖を希望されていても、一晩考えてやっぱり病理解剖をしないという結論に至れば、私はその飼い主の結論を尊重しています。

 

病理解剖しなかったとしても病理解剖したとしても、どちらの選択をしても後悔が全くないということはおそらくないでしょう。それでも、亡くなったペットと一晩いっしょに過ごして導かれた決断であれば、どっちの選択をしても受け入れることができるように思います。

 

大切なペットが亡くなって悲しまない飼い主はいません。ペットとの別れから何年か経ってその死を乗り越えたときに、あの頃のことを思い出して笑って過ごしたり、またはその時の教訓から何か学んだりできる、そんなお手伝いができるような仕事がしたいと思っています。