年度末が近づいてきて、今年度の病理症例を整理し始めています。
いつもこの時期になると、一年を振り返って様々な症例のことが頭に思い浮かびます。

とくに病理解剖させていただいた症例についてはこの一年に限らず、過去に病理解剖した様々な動物たちのことが、ことあるごとに思い出されます。

・ ある動物の病理解剖をしていて、この病変は前に病理解剖したあの子の病変と似ている。
・ 
顕微鏡で病変を観察していて、これは過去に立て続けに死亡したあの病気で対策が必要だからすぐに依頼者に報告しよう。

・ こんな原因で亡くなるなんて、一体どのような飼い方をしていたのだろう。

・ 何気ない臨床獣医師との会話で今こういう症状の動物を診察していると聞いて、これは前に病理解剖したあの動物と似ているからこうした方がいいかもしれない。
といったなど。

ときどき、過去に病理解剖させていただいた飼い主や飼育員の方とお会いする機会があって、お話させていただくこともあります。

・ 
病理解剖してもらって死因が分かってすっきりした。
・ 
あの時の病理解剖で分かった反省点が今飼っている動物に生かされている。

・ 病理解剖するかどうか悩んだがやっぱりしてもらって良かった。

病理解剖された動物はもう亡くなってここにはいないけれど、まだ生きている。
これまでに病理解剖した動物たちのことが頭に浮かぶたびに、私はこのように思います。
病理解剖を依頼していただいた臨床獣医師や飼い主、飼育員の方とお話をしていても、彼ら(彼女ら)は同じように思っていると感じています。

動物観、死生観は人により様々なので、一般化することは非常に困難です。

しかし、今まで様々な動物の病理解剖をとおして動物の死と向き合ってきて、私は思います。
亡くなった動物を病理解剖して病気や死亡の原因、そのメカニズムを調べることで、その動物はその後も生きることになると。

もちろん亡くなった動物はもうこの世にはいません。ですが、
そこから学ぶことで臨床獣医師にとっては同じような病気で苦しむ動物を助けることにつながるし、飼い主にとっては動物の死を納得して受け入れることにつながるし、飼育員にとっては飼育の改善につなげることができます。そうすることで、その動物に関わってきた様々な人たちの中で、その動物はいつまでも生き続けることができるのです。

その
動物に関わった人たちだけではありません。動物の死から学んだ情報は、病気や死の理解につながり、知の蓄積によって後に残されたたくさんの動物を助けることにもつながります。亡くなった動物に直接関わっていない動物たちの中にもその子は生きることになるのです。

動物の死から何も学ぶことがなければ、ただ悲しむだけで終わってしまいます。それだけでなく、悲しみをいつまでも引きずってしまうこともあります。

動物の死を悲しむことは、誰もが経験するとても大切なことではあります。

しかし、何も学ばずに終わってしまえば、新たに動物を飼ったときにまた同じようなことを繰り返してしまうことにもなりかねません。

一方で何が何でも病理解剖が必要というわけでもなく、たとえ病理解剖をしても、必ずしも死因や病気の原因が全て明らかにできるわけではありません。

病理解剖をしたのにはっきりとした死因が分からず、落胆される方もいらっしゃいます。そのようなときには私も何か見落としたものはなかったのかと、深く悩みます。

そして、後で同じような経験をしたときにこれは前にも見たことがあると気づき、その蓄積がその動物の病気の特徴を少しずつ明らかにしていくことにつながります。

動物をかわいい、動物がかわいそうという感情は、誰にでもあって決して悪いことではありません。しかし、そこから一歩進んで、もう少し動物の死としっかり向き合っていくことも大事なのではないでしょうか。

動物の死と向き合うこと、動物の死から学ぶことは、かわいい、かわいそうなどという感情を越えて、動物のために何ができるかを考えるきっかけになります。動物の病理解剖は、そのための取っ掛かりになるものです。

動物に、亡くなった後も生き続けてもらうための病理解剖。
亡くなった動物から大切な何かを学ぶということ。

死が身近な存在ではなくなってしまった現在、これは非常に大切なことのように思います。

動物の病理解剖をとおして、動物の死と向き合うこと、死から生を学ぶことの大切さをこれからも考えていきたいです。